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36週-子供のとき親と楽しく会話してた?あの頃の親のようには私はならないよ!

うちの親はいまでこそとてもいい親ですが、私が子供のときは「感情的」で「強制・強要・脅迫的」「偏見で人を見る人」というイメージでした。

父に関しては今もそういうところがありますが、私ももう子どもではないので「ああ、こういうこと言っても無駄だな」と思うことがあっても意見せず、「不愉快」であったり「納得できない」ことであったり「それはちがうよ」と思うことがあってもわざわざ言わず無視しています。こころの中で「ほんと成長しないな」「偏見の塊だな」「世界が狭いな」と思いあきらかに「軽蔑」していうるのですけどね。良くも悪くも・・・THE オトナの対応ですね!

 

昔の話になりますが、小さい頃まともに楽しい会話やコミュニケーションをとってきた記憶がありません。

 

一般的な家庭であれば、晩ご飯はみんなそろっておしゃべりしながら楽しく過ごす!という思い出があってもいいようなものですが私にはまったくそんな思い出がおもいつきません。

きっと、そんな日もあったかもしれないですが、あきらかに「楽しい思い出」より「ネガティブな思い出」のほうが多いんでしょうね。思い出せません。こころに残っていないのです。兄にはあるかもしれませんが、私にはあまりありません。

 

ちいさい頃なにか問題や不満があったとき、兄のようにことばにして表現しようとしても、うまくできず親に伝わらないことってありますよね。そう。6歳の兄と4歳の妹では「ことばや語彙のレベル」に差があるのがあたりまえなのですが、私が「言いたいこと」をことばに組み立てているとそれを「待てない親」キレられるんですよね。「言いたいことがあるならはやく言いなさいよ!」と。「きょうだい平等」の不平等さはこういうところに現れるんだと今になって実感しています。

自分がことばに表現し終わる前に親にイライラした雰囲気で「言いたいことがなんなのか?」と「追い立てられ」ることが習慣化するとさらにことばが出てこない状態になっていく。伝わらない、伝えられない、悔しいし、がまんしてばっかり、自分を責めるようになりでこころがすさんでいきます。

そしてそれはすぐに心理的な「圧」となり切迫恐怖症にへと変わっていき学校生活や勉強にも影響しだして・・・。精神的な「病み」は乗り越えられた今となっても追いたてられること、追い詰められることは「トラウマ」であることには変わりありません。

ポツリぽつりとことばをつなぎ小さな子が「がんばって」表現している途中なのに「はやくして!(言って)」と焦らされたうえに、話している途中で親にことばを遮られ最後まで聞いてもらえず「そんなことが言いたかったんじゃないのに・・・」と違う意味意図で勝手に汲みとられてしまい、会話が終わっていたという記憶に多々あります。「正しくきもちを伝える」まえに子どもの言葉を遮らないでください。親が子どもの会話を横取りせず、時間がかかってもいいから、最後までちゃんと言わせてあげてください。

私はつらかったんです。

 

さらに追い討ちをかけたのは「泣く」ことでひどく感情的に怒られたことでした。

 

「心のモヤモヤ」を伝えたいの表現できないこと(語彙レベル・機会を与えられない)、たとえ口に出せたとしても「うまく伝わらず」理解されないことって、とても悔しくて悲しいことで、3〜6歳児としては泣くしかないですよね。

  • 幼児のときはことばにうまく表現ができず「くやしい」ので泣いていた
  • ことばにできたと思っても別解釈(親に都合よく)されていたり「きもち」が伝わっておらず悲しくて泣いていた
  • 何かことばにして言えたとしても一方的に「〜〜だからでしょ!」と思ってもいない気持ちの決めつけにあい、不愉快だった
  • 両親共に私が泣いていてもその理由を「ゆっくり」「目線を合わせて」「年齢相応の対応で」聞いてくれることはなかった

小学生になってもそれは変わらず、思ってもいないことを「親の偏見」で決めつけられるのが嫌だった。

  • あなたがなにかしたんでしょ
  • 何か言ったんでしょ
  • 自分勝手なこと言わないの!

まずは我が子を疑う親。そんな人に話すのって子どもとしては信頼できなくなり嫌になりますよね、ふつう。

もちろん「私のせいじゃない」という主張もきいてもらえず「どうせ〜でしょ」とネガティブな言葉で会話の内容を決めつけられ会話は終了。たとえばペットの犬ちゃんだって「お散歩に行こっか!」と期待させといて「嘘でした〜」みたいに期待を裏切る行為を繰り返していると「この人の散歩ということばは信用できない」とそのうち言うことを聞かなくなりますよね・・・。こころがすさんでいくんです。

 

なので学校であった出来事なども「それが特に何の変哲もない日常(特別な要件がない)」だった場合には、わざわざ親に「話す(相談する、報告する)」ことはしなくなっていました。

自己解決できる程度のことがらや悩みであれば自分ひとりで結論を出していました。まぁまぁいじめられたり(靴隠し・持ち物を捨てられる・仲間外れ・誹謗中傷の手紙など)したときもありましたが、心がそもそもすさんでいたのでひとりで泣いた日もありましたが気にしないように無視もできました。死を選ぶほどこじれてはいなかったので親に相談する必要はありませんでした。

 

なにより親と必要以上に話すのが「億劫なもの」だった。

「悩み」があっても打ち明けることはなかった、なぜなら私の話を聞き終わるまえに会話を遮られ「〜〜したらいい」とか「あなたが〜〜だから」と口を挟まれ、最後まで聞いてくれないから。

 

中学生くらいになると何か聞かれてもとくに要件がない場合は「話す」ことさえ面倒に感じた。生返事で過ごし部屋にいる時間が増えた。あきらかにコミュニケーション不足だけれど、小さいときからこじれている(信用していない)のに今さらコミュニケーションを取ろうと「構われる」ことが嫌だった。

 

一般的に考えてこの状態この関係が10年も続いていたらどうでしょう・・・。

この人たちとの「会話」は鬱陶しい以外の何ものでもないことは誰にでもお分かりいただけるでしょう。

 

反抗期としてみられていただろうとおもう。たとえ私がなにか言ったとしても「あなたが〜〜だから〜〜なのよ」と決めつけられ「きもち」をちゃんと聞いてくれないし「伝わらない」人に対して、話す労力やコミュニケーション自体がムダと感じるのは必然。

 

親というものに対して自分を守ってくれる人という意識はなかった。

どちらかというと何か言うと「批判される」「私のせいにされる」ああ、この人たちに言ってもどうせ伝わらないし聞いてくれないし「欲しい返事が返ってくるわけじゃないし」と必要最小限でいいやと「会話」について「話すことさえめんどくさくなった」というのが実情ですね。

 

同時に小さな頃から、欲しいものを頼んでも「安かったから」といって別のものを買われたりして「期待してもどうせ裏切られる」ことが習慣となっていたので、親にはいろいろなことに対して「期待しない」ようになっていた。上で例として出したペットの「お散歩」と同じ現象です。

 

以下、トラウマになった言葉たちです。

私はこれらの言葉をこれまでの私の人生の中であまり使うことはなかったですね、、、自分が言われていかに嫌な思いをしたかを知っているので、人に対しても、口にしませんでした。

カッコ内はいまでこそ表現できる「言われたことばに対する」私の気持ちです。

 

トラウマWORDS

  1. なんでできないの?(自分はダメな人間だと刷り込まれる)
  2. なんでこうしないの?(自分はバカな人間だと刷り込まれる)
  3. なんでわからないの?(わかるのがあたりまえ、自分はダメな人間だと刷り込まれる)
  4. お兄ちゃんはできたのにどうしてできないの?(できの悪い子と刷り込まれる)
  5. あなたと同じ歳の頃にはお兄ちゃんはちゃんとわかってたのに(できの悪い子と刷り込まれる)
  6. なんであなたはいっつもいつも・・・!!(自分はダメな人間だと刷り込まれる)
  7. ダメっていってるでしょ!(何がダメなのかその理由を理解できないから繰り返してしまう)
  8. やめて!!(何がダメなのかその理由を理解できないから繰り返してしまう)
  9. ちゃんとしなさい(ちゃんと、が何かわからない。ちゃんとするとはなんなのかがわからない)
  10. さっさとやって!!(どうすれば「さっさ」なのか、なんで「さっさ」とやらないといけないのかわからない)
  11. 怒られないとわからないの?(逆になんで怒っているのかがわからない、なにを理解して欲しいのかわからない)
  12. 痛い思い(お仕置き)しないとわからないの?(なにを理解して欲しいのかわからない)
  13. 言われたことをやりなさい!!(納得できないのに言われたようにはできない)
  14. 言われたことだけやってればいいの!(納得できないのに言われたようにはできない)
  15. はい、ってなんで言えないの!(納得できないのに従うことはできない)
  16. はい、っていいなさい!(納得できないのに従うことはできない)
  17. だって、って屁理屈言わない!(伝えたいことを聞いてもらえない=屁理屈と決めつけられるのがくやしい、不信感に変わる)
  18. わがままばっかり言わないの!(伝えたいことを聞いてもらえない=屁理屈と決めつけられるのがくやしい、不信感に変わる)
  19. そんなこと言ってたら放り出すぞ!(外に放り出されるか、車に閉じ込められた)(親に従属しない場合には強迫される)
  20. 泣き止まないと放り出すぞ!(親に従属しない場合には強迫される)
  21. うるさい!!(感情的に拒絶される)
  22. 出ていけ!!(感情的に拒絶される)

 

きっと、こんなのは一部に過ぎずもっとあると思いますが、どれを見てもネガティブワード。

否定語だらけです。

 

こんな言葉をかけられて育ったせいか、わたしは青年期〜20代において自己肯定感がとても低かったです。夢も希望も自信もなく、やりたいことなんて何もなかった。

大学に行けといわれたけれどやりたいこともないしお金と時間の無駄だなと思いながら受験しました。

 

自分は特別でもなんでもなく、なんの能力もないから「できる仕事をするしかない」「できる仕事があれば給料が低くてもしょうがない」くらいのダメ人間っぷり。

失うものなんてないからなんでもできるし、別に死ぬことも怖くないですけど?くらいの勢いで・・・、でもべつに自暴自棄ってわけではなくそれなりにそのひぐらしの楽しさを追い求めていました。夢も希望も将来も考えなく。

 

20代後半になるとやっと「周りの人」や「仕事」から自分のポテンシャルの高さを発揮し、ひとから信頼され、必要とされ、自信をつけ、一人前の人間に生まれ変わりました。

 

人を責めるまえに自分を責めよ

 

といつも思って生きてきた私がここにきて初めて

「ああ、いままでの人生無駄にした。親のせいで遠回りした。親のせいで苦労した」

と人のせいにすることができました。自覚できました。ことばにできました。このことばが出てきてやっと「親の呪縛」から解放された気がしました。やっと「親を許すこと」への準備ができた気がします。それまでは干渉されることも関わることも億劫で実家には寄りつきませんでしたから。

 

いまさら親を責めてもしょうがないですし「感情的に」言った人間はたいてい覚えていないでしょう。

「許す・赦す」といっても、この長きにわたってつけられた心の傷は消えないので親に対してたまーーーに「事実を語るだけ」として淡々と☝️のような気持ちが口からでてしまったりすることはありますが、私が感情的になることはないです。恨みはあるけれど怒りはない。

もう、本人が覚えてない以上「時効」です。

 

ただ、思うことといえば

私はぜったいにこのような親にはならないぞ、ということです。

 

これまで多くの部下を持ち、子どもたちよりも「意味のわからないこと」を言う困ったオトナたち(新卒・若者・おっさん・おじさまがた・マウント女子・マウントBBA)をたくさん見てきました。職務、立場上で身につけた「アンガーコントロール」をすることで怒りという気持ちは「ドライな見下し」や「可哀想な人」へと変わり、「ああこの人はこういう人なんだな・・・」という意識で感情的にならずにすむようになりました。

もちろんポジティブに「私の言い方や接し方を変えるとこの人は意外とポジティブに生まれ変わるかも」と、相手と向き合ってみること「話をちゃんと聞く」こともしてきました。

 

宇宙人のように「ことばが通じない子ども」に対して同じようにできるかどうかはわかりませんが、

  • こころ広く
  • 目線をあわせて
  • ちゃんと向き合ってあげたい

と思っていることは確かです。あの頃の親のようにはならない。「誓い」ではなく私の場合「確実」にならないと思いますが、もしかするとがないわけではないので、ならないぞ、とここに記しておきたいと思います。

 

では!