the road, beams, path

6週-子ども好きではない私の「産む」の一択。後悔や幸せ、苦労や孤独とは何かよく考えた。

私は決して「子ども好き」なわけではない。

どうしても子どもが欲しい!という訳ではなかったのです。

 

体調的にもあまり望める体質ではなかったですし、旅行も外食もひとり時間も大好きで、引きこもっていても外にいることも楽しいのです。

ですが、

パートナーは死ぬまで一緒にいるかもしれないけれど、きっとあちらのほうが早く死ぬだろうと思うのです。

 

飽食過食で肥満ですし、お酒も良く飲み、運動はほとんどしていない。無趣味で暇があれば食べ物のことしか考えていない。健康にも無頓着。自暴自棄ではないものの、それに近いくらい「健康志向」ということばをどちらかというと毛嫌いする。

 

なのできっと長生きしないだろうと思う。そうしたら、私は70代に入る頃にはきっと一人取り残される。誰でも長生きする現代なので、私はきっと70〜80は生きそうな予感がする。

 

私の兄弟はわりと疎遠。いとこもいますが仲が良いわけでもなく今でさえ交流もない。親はその頃にはいないだろう。友達も多くないのできっと疎遠になっているだろう。

 

私はひとりぼっちに。世の中に取り残される。

 

子がいなければ孫がいるはずもなく、部屋の写真たてに飾る写真は増えもせず、更新もされず、親が残したもの以外、私はきっと飾るということさえもしないかもしれない。飾るほどの自分の思い出写真があるとは思えず・・・想像がつかない。

 

パートナーは日本に落ち着いているわけではないので、仕事関係のお歳暮や季節のお便りもないだろうし、自分でなにか購入しない限り宅配業者もうちには寄り付かないだろう。

 

家にひとり。

鳴らない電話。

 

歳を取ったら同じ日々の繰り返しが続くものですよね。出かけるのはスーパーくらいでしょう。一日中テレビをつけっぱなし、誰と会話することなく何となくその日を終えてまた次の日を迎える日々。

 

義母さん、あなたは堕ろせと言うけれど、その歳になって、こんな孤独な自分を想像できますか?その選択と覚悟を30代でできますか?あなたには3人の子どもとその孫たちがたくさんいて賑やかな老後を送れていますが、わたしには一人で孤独にすごせと言うのですか?

 

パートナー。あなたも私に堕ろせというけれど、あなたはいいですね。すでに2人も子どもがいるからそう言えるんですよね。残される私、ひとりになる私のことなんてきっと想像もしていないんでしょうね。

 

やっとこの歳で出来た子を諦めなければ、写真を飾り、成長を見守ることができる。苦労してでも育てる、子の成長が見えると苦労さえも楽しいと感じるかもしれない。そして、最低でもひとりではなくなる。面倒を見てもらおうとは思っていないけれど、その子とともにその子の生き様を見て感情がある状態で生きていけるんですもの。これって幸せなことではないですか?

 

だから、この子を手放せば今後一生後悔する。

それだけは確実に言える。

 

私はもともと子どもが好きなタイプではないし、子どもって無条件に可愛い!なんて思えるタイプの人間ではありませんでした。友達や他人の赤ちゃんをみてもそう。別に可愛い、愛らしい、愛おしい、私も欲しい!と言う感情は沸かなかった。美男美女という顔立ちで可愛い子だなと思うことはあっても、触りたいとか抱きしめたいという感情はもっていなかった。

 

だからといって、子どもが騒いだり、泣いたりしていても毛嫌いすることはなく、子どもですしそんなもの、しょうがないものとしてあまり気にもなることもなく。それほどにきっと興味がなかったんだと思います。にこりとされたら人としてニコりと返しますし、拒絶もしません。走り回って遊びにつき合うこともします。

わりと子どもからは好かれるのかベビーにはじっとよく見られ笑いかけられますし、チビたちは無防備によく寄ってきますが、私的には人として接しているだけで、子どもたちに囲まれて楽しい〜しあわせー!という感情はなかったです。

 

妊娠したら変わるよ!という友達もいましたが、妊娠してみましたけれど、辺りの子どもたちを見ても別に可愛いとは思わず、話しかけたり手を振ってニコニコしたいとも、、、今のところ芽生えていないです。

なので、出来たらできただけれど、できなかったらパートナーとふたりで過ごす人生を考えていたのですが、いざ、妊娠してみると意外と嬉しかったことを覚えています。

 

まさか、ほんとに?

と。

 

いつまで続くかわからないふたりだけの生活を想像していたのに、新しい体験をさせてくれる子という存在ができたのです。

私たちより長く生きる命。

 

鳴らない電話、飾る写真もないひとりぼっちの老後を孤独に過ごす日々の想像、そんな不安が少し明るく照らされたような気持ちになりました。

 

38ですし、もう今後は妊娠というチャンスがないかもしれない。そもそも相手がいないと妊娠は難しいことですし、もしパートナーに捨てられたとしてもこの子だけは一緒にいることができます。十分、若き時代を楽しんできたので、この歳になって子どもに時間を制限されたり、今までの生活が変わることに対しての後悔はありません。

 

パートナーには子か、自分を選べ的なことを言われることもありますが、どちらも選びません。どちらも必要なので私は「選択する気」がありません。

  • もし、子を選んで、あなた、一人になったとして、それは楽しいの?私と一緒にいなくて楽しいの?

一人が楽しいなら、そもそも今一緒にいないし関係を続けてこれなかったよね、という自信が僅かにあるからです。

  • もし、あなたを選んで、子を失うと、今後一生あなたを恨み、また、自分を責め続けることになるのは目に見えています。あなたが他人の子に笑いかけたり、抱き上げたりするのも吐き気がするほど不愉快に思うだろうと想像できます。

今までも多少、その感情があったからです。友達の子をあやすその姿を見て、疎外感や劣等感に溺れそうになることがありました。自分は望んでも子ができない、作ってもらえないという怒りに似た感情です。

 

なので、妊娠を知ったとき、私自身、信じられなかったですし、その後パートナー側から子の生死を迫られることは予想できましたが、個人的にはとても嬉しくおろすなど最初から微塵も考えられませんでした。重篤な障害がない限り産むの一択。

 

そして、子にとってはあまり面倒を見てくれないとはいえ、たまに抱き上げて、たまに遊んでくれさえすれば、親としていないよりいるほうがいいですし。

基本的にはわたしは未婚のままになるだろうので、配偶者ビザが得られることもなく、あなたと子が常にベッタリ一緒に暮らすことはなし得ない。私が日本で基本的に育てなければいけないことに変わりはない。

あなたの一人時間は確保され、仕事に支障も出ないだろうので「ふたりで身軽にグルメ旅行」は制限されるけれど、別れて一人ぼっちになるよりかは寂しくもなくいいと思う。

 

だからどちらかを選ぶなんてできない。

 

彼にはそう返しました。

 

彼との将来は今後、何かをきっかけに音信不通で捨てられるかもしれないし、別れることになるかもしれないけれど、子の将来を諦める理由は私には存在しない。

 

私は、産みます。護ります。

 

決意が固まりました。

義母は「子を殺そうとした人間のひとり」という恨みがまだすこし残っているので、生まれてから抱かせたくない気持ちがいまのところまだ消えません。

これはあまり良くないことなので、そのうち私の心のトゲが溶けるといいなと思っています。

 

では!